蜂起の三ヶ月

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香港のアナキスト・コレクティブが語る反抗の成果と限界

以下に続く時系列表とインタビューは、香港のアナキスト・コレクティブの手によるここ数ヶ月間の反乱の包括的な要約である。この中では反乱の成果についての評価がなされ、その限界が見極められ、相互扶助と反抗が繰り広げられた感動的な瞬間を言祝がれ、そして権威と市民の怒りに訴えかけることに基づいた枠組みを超えるための未だ果たされていない方法が批評されている。この記事はわれわれが6月に掲載した同グループへのインタビューの続編だ。

香港での闘争の評価は国際的には二極化している。陰謀論者の中には中国政府に対するいかなる形の抗議行動も、まるで抗議者たちが国家の指導から離れて彼ら自身の課題を設定することは不可能なことであるかのように、これを単にアメリカの陰謀だと見なそうとして止まない者もいる。他には、この運動がなおも抱えているナショナリスト的で新自由主義的な神話について考えを及ばせることなく応援に勤しむ者もいる。 香港での出来事が示しているのは、ある運動が政府の正当性やその法および警察を、他の統治や法、警察へのナイーブな信を保ちつつ、いかにして積極的に拒絶できるかだ。何かしらの形でこの信が保たれる限り、[支配の]サイクルは繰り返されることだろう。しかし、香港が蜂起へと突入したこの数ヶ月を通じて、あらゆる資本主義、ナショナリズムの形式に抗する世界規模の闘争、そしてそのあり方がなんであるかを考える手がかりが得られるだろう。そしてまた、こうした闘争の出現に残存する障害を同定することにも寄与するだろう。


元記事からの日本語訳: HAPAX I, II


出来事の経過

以下に闘争の詳細な経過が続く。ここ三ヶ月に生じた出来事についてすでに把握しているならば、読み飛ばして後ろのインタビューへと進んでもらいたい。

二〇一九年六月

二〇一九年春、香港政府は中国本土を含む他国への自国民の引き渡しを可能にする条例を提出した。

この逃亡犯条例に抗する大規模な平和的デモが六月九日に行われ、多くのひとびとが参加した。続く週の間、オンラインフォーラムのLIHKGの参加者の中には、抗議に際して経済的な戦術の採用を提起する者たちもいた

六月十二日、逃亡犯条例の審議が立法会で予定されていたこの日、抗議者と警察が香港政府本部の周辺およびCITICタワー周辺で衝突した。警察は参加者に向けて一五〇発以上の催涙ガス弾とゴム弾を放ち、多数の負傷者が出た。五名が逮捕され、暴動のかどで罰せられた。

政府は六月十五日に逃亡犯条例の審議延期を発表したものの、ひとりの抗議者がその日ののちに落下死した。遺言の中で、彼は「逃亡犯条例から完全に手を引け、暴動の嫌疑を撤回しろ、負傷した学生たちを無条件で解放しろ。そして、林鄭は辞職しろ」と主張していた。それからはこれらの主張の殆どが闘争の要求の中に数え入れられた。そして翌六月十六日には二〇〇万のひとびとが街頭抗議に参加した。

六月の終わりから七月一日

六月二十一日、抗議者たちは初めて「ゲリラ」行動を試みた。政府の本部庁舎前から警察本部、税務ビル、入境事務ビルへと隣接する地区を動きまわり、入口と各課を封鎖したのだ。翌二十二日には税務ビルへと戻る者もおり、彼らは利用者に不便をかけることを謝った。

六月二十六日には、G20に出席した首脳陣へ香港の危機に対して働きかけるよう訴える広告キャンペーンがクラウドファウンディングをもとに世界規模で打たれたが、目に見える反応を何ももたらさなかった。さらに二人の抗議者が月の終わりに自殺した。自暴自棄が激しくなり、七月一日が近づくにつれ多くのひとびとが闘争は「最終局面」に差し掛かったと口にするようになった。

七月一日、抗議者たちは立法会総合ビルへと突入した。平和主義的なデモ参加者たちはこの行動について密かに懸念を口にしていたが、最終的には行動に加わったひとびとを糾弾しないことを選んだ。立法会議事堂へと踏み込んだ四人の抗議者は機動隊が到着した際に退室を拒み、多くの抗議者たちが彼らを「助ける」べく戻った。このとき以来、分派へと「分裂しない」(不割蓆)、「共に(デモへと)来て共に(機動隊から逃げる際には)行く」(齊上齊落)という方針がコレクティブ内の闘争のエートスとして明確化された。

七月初頭:衝突の拡散

二〇一四年の雨傘運動において、デモ参加者たちはレノン・ウォールという即席の無許可掲示板を作り出した。それは「良心的な市民」が広く目に見える形で「政府に救済を求める」ためのものだった。二〇一九年には、このモデルは完全に平和主義的なその起源を超えて情報の拡散や戦略の調整のための性質を帯びるようになった。六月三十日には抗議者たちが香港政府本部に設置したレノン・ウォールが警察によって破壊された。このことを受けて、レノン・ウォールがあらゆる主要な地区に姿を現しはじめ、防衛のための人員が一日中配置されるようになった。

七月一日に逮捕が一件もなかったにもかかわらず、多くのひとびとは警察からの報復が待ち受けているのではないかと恐れた。他国に避難する者もいた。誰もが警察に逮捕されたときに何をいうべきか——そしていわないべきか——機械的に暗記しておく必要性を強いられた。「わたしには黙する権利がある」というフレーズはミームとして広がり、この呪文の反復はLIHKGのメッセージボードで賛成票を投じる手段として用いられはじめた。

七月七日、大規模な集会が香港島のメイン抗議地域の外ではじめて起こった。その地域を出入りする本土の観光客に向けたスローガンが用いられ、ビラが配られた。抗議は次の週にさまざまな地区へと拡散し、特に激しかったのは7月14日のシャティンで起こったものだった。近隣のひとびとは盾として用いるためのビート板を抗議者たちに向けて窓から投げ渡すことで彼らへの支持を表明し、自分たちの団地へと押し入った警察に向けて怒号を飛ばした。警察は初めてショッピングモールに突入し、シャティンニュータウンモールの床を血まみれにした。シャティン行きの列車は警察の命令により止められる一方で、抗議者の逃亡を手助けする自己組織化された自動車相乗りチームが形成された。

七月一七日には、数回の激しい衝突の後、数千人の高齢者が若い抗議者への支持を表明するべく行進し、自分たちは若い世代が「古びたガラクタ」と呼ぶ同世代の大多数のような保守的な卑怯者ではないと断言した。

七月二一日

香港の中国共産党公式広報機関である中国連絡事務局への行進の際、黒いペンキで塗りつぶされた中国の国章が目についた。ひとびとは、「香港に栄光を取り戻せ、革命のときだ」(光復香港時代革命)というスローガンを初めて唱えた。警察は事前の警告なしに催涙ガス、ゴム弾、スポンジ手榴弾蜉を発射した。

一方その頃、ユエン・ロング駅では白いシャツを着たトライアドたちが電車内で抗議者と民間人を襲った。この暴行の背後には親北京議員のジュニウス・ホーがいたとみなす者もいる。襲撃は警察の手を借りながら行われ、警察は傍観していた。逮捕者はほとんどおらず、起訴された者もいなかった。この事件は大衆が警察に対して激しい怒りを向ける導火線となった。

七月末から八月初頭:増大

ひとびとが覚えている限りはじめて、警察はトライアドによる強襲から一週間後の七月二十七日に元龍で行われるデモの許可証の発行を拒否した。数千人がこれに抗って通りに集い、その後許可なくデモ行進を行うことが標準となった。 「合意された」出発時間について抗議者の間で異論が生じ、LIHKGで長時間の議論が行われ、前線と背後のパルチザン隊列間で一層密な意思疎通を行うことが求められることとなった。

七月二八日、四九人のパルチザンが逮捕され、そのほとんどが暴動で起訴された。その日から八月上旬の間、抗議はより自然発生的かつ瞬発的なものとなり、抗議者たちは香港の地下鉄であるMTR(マストランジット鉄道)を介してさまざまな駅に移動し、主に警察署を標的にするようになった。ひとびとが警察署に火炎瓶とレンガを投げはじめ、パチンコを使用するようになったのもこの頃がはじめてだった。近隣から一層多くのひとびとが闘争の支援へと訪れ、警察に向かって怒号を飛ばし、参加者を駅へと送り返した。警察は、高齢者向けの住宅地や家の周りに催涙ガスを繰り返し配備した。

八月三日、ひとびとはクロスハーバートンネルを遮断した。八月五日、男性将校部隊がティンシュイワイの女性抗議者を連れ去り、わざと彼女のスカートをたくし上げ露出させた。この同時期に、警察署での性的暴行に関する報告が拡散しはじめた。

また、八月五日には大勢がさまざまな地区で「ゼネスト」に参加した。ひとびとはその朝早くにMTRの電車のドアを塞ぎ、ほぼすべての路線を停止させた(この行動は七月三十日に「リハーサル」された。その日は一つの駅が早朝に閉鎖され、午後には香港島にあるさまざまな主要インターチェンジ駅で短期的かつ周期的な封鎖が行われた)。多くの地区で終日警察署での衝突が続き、夜になると、青や白のシャツを着た親政府のギャングが鉄の棒とナイフで抗議者を襲撃した。

八月半ば:目には目を

警察がある若い男性を、「危険な武器」十個のレーザーポインターの所持という名目で逮捕したことを受けて、ひとびとは八月七日に香港宇宙博物館の外でレーザーポインターを用いて独自のハーバーフロントライトショー[訳註:香港政府がビクトリア・ハーバーで行っているショー]を執り行った。同日、初の記者会見が闘争を代表する形で行われた。これは抗議者のグループによって組織され、毎日開かれている警察の記者会見に対抗するものだった。

八月一〇日の週末には複数の地区でフラッシュモブによる封鎖が発生した。八月一一日、シャムシュイポーからの抗議者がチムサーチョイに移動した。そこで警察がビーンバッグ弾で女性の救急救命士の右目を潰した。

「目には目を」は口伝えのミームになり、韓国の著名俳優キム・ウイソンがはじめた「香港の目キャンペーン」は八月後半に世界中に広まった。

同日、警察はクワイフォン駅の閉鎖された空間で催涙ガスを発射した。近距離から抗議者を撃ち、彼らをタイクー駅の混雑したエスカレーターに押しつけた。抗議者に扮した覆面警官は予告なしに逮捕を行ない、これは抗議者たちに不信感を植えつけた。

翌日、八月十二日、多くのひとびとが空港に集まって警察の残虐行為を非難し、何百ものフライトをキャンセルさせた。暴動の波が押し寄せようとしているという噂が午後の間ずっと広がり続け、大多数は午後六時前に早々と帰った。その後八月十三日には、だまされたと怒った抗議者が空港へと戻り、乗客の搭乗を積極的に封鎖した。夕方には抗議者たちが参加者に変装した二人の男を確認し、場の空気が張り詰めた。一人は本土の警備員、もう一人は本土の警備部門と密接な関係を持つグローバルタイムズのジャーナリストだった。両者は縛られ、抗議者にたこ殴りにされた。この事件は、本土で広く報告され、運動に対する強い反感を引き起こした。その後、抗議者の間で、侵入者の扱いに関する論争が激しくなり、八月十四日に自己批判を表明することとなった。しかし、意見が相違しているにもかかわらず、抗議者間の「団結」は持続し、抗議者が誓った団結は核爆発のような逆境を乗り切った(核爆都唔割)。

八月末

八月一八日、大雨にもかかわらず、何百万人もの平和的な抗議者がデモ行進に参加した。 八月二三日、市内全域で「香港の道」行動が行われた。空港の封鎖を支援したりソーシャルメディアの動向に共感を示した航空スタッフとキャセイパシフィックの組合指導者が北京からの圧力によって解雇された。被拘禁者に激しい殴打やレイプまでも含む性的暴行が加えられたという複数の報告が出回り、八月二十八日には性暴力に対する#ProtestTooの集会が行われた。

八月二十四日、MTRはいくつかの駅を閉鎖し、クントンでのデモの直前に近接地区での列車の運行を停止した。その日から、抗議者はMTRを「パーティトレイン」と呼びはじめ(黨鐵)、破壊行為の標的となった。クントンでの抗議の際、抗議者たちは「五大要求」として知られるようになったものを提示した。すなわち、条例の完全撤回、「暴動」の嫌疑の撤回、すべての逮捕者の無条件釈放、警察の犯罪に関する独立した調査機関の設立、および普通選挙の五つだ。地区に設置された「スマート街灯」[訳者註:顔認証システムが搭載された街灯]を切り倒した者もいた。彼らは支柱を下ろし、回路を分解し、部品の製造場所を特定した。

八月三十一日、著名な活動家や議員が逮捕されたにも関わらず、数千人がなおも通りに押し寄せた。八月二十五日に初めて試験的に運用された放水砲は、現在では青唐辛子の液体で満たされている。抗議者は警察本部周辺の路上バリケードに火を放ち、また覆面警官を特定して取り囲んだ。

その後、プリンスエドワード駅にて、警察は駅構内で抗議者と通勤者に対して無差別に暴行し催涙ガスを吹きかけ、 七人が重傷を負った。この記事の執筆時点では少なくとも三人がいまだに行方不明となっており、多くの人が警察によって殺害されたと思っている。 MTRはCCTVの映像を公開するというひとびとの要求に応じておらず、この後、警察とMTRに対する反感は新たな高みに達し、ひとびとは様々な運賃未払いのテクニックを広めた。

九月初頭

九月一日、大勢のひとびとがバス停や空港に向かう幹線道路に集った。空港の封鎖の後に高等裁判所が抗議者に対する制限命令を可決したために、空港ビル自体は立ち入り禁止となっていた。この行動によって、午後にかけて空港への交通網が完全に麻痺した。大学と中学校の生徒は九月二日にストライキを行い、大多数は学校の前で警察や政府の支持者からの襲撃を受けた。学生と卒業生は、一週間を通してさまざまな地区で人間の鎖を形成した。

最後に、首相は九月四日に逃亡犯条例の撤回プロセスを発表した。このプロセスは十月に議会の閉会期間が終わってから開始される。それでも、運動は政府が五大要求すべてを受け入れなければならないと主張している。この記事の執筆時点で、MTRの駅破壊行為は、「消失」の所在に関する調査要請や八月三十一日から続くCCTV映像の公開要求とと​​もに継続中だ


Interview

われわれはこのインタビューをアナキストコレクティブとともに行う。彼らはこの一五週間以上を精力的に闘ってきた。大量の催涙ガスを浴びる合間をぬって、彼らは以下の問いを考えるために集まってくれた。以下の回答は検証と追憶に費やしたいくつもの眠れぬ夜の成果であり、コレクティブのメンバーたちは背負いきれないほどに大きく、きつい記憶から溢れ落ちてしまったものを埋め合わせるべく協力しあった。

――どの地点で運動は行き詰まったのか。そして、なにが運動を加速させ、拡散させ、生き延びさせたのか聞かせてほしい。

 「行き詰まり」に突き当たったのは、おそらく八月五日、「ゼネスト」が最初に提起された日だと思う。

 厳密な意味でのゼネストが打たれたわけではないのに、実際には多くの都市が一日中閉鎖された。その規模の点、はじめてストライキが組合の外の労働者の手で(単に経済的というより)政治的な理由のもとに召集された点をはじめ、あらゆる意味で記念碑的な出来事だった。

 そのときから、警察への怒りは運動を駆り立てる大きな要素の一つとなった。

 みんなには香港警察の好き勝手な蛮行を知ってもらいたい。連中は日増しにやりたい放題に蛮行を振るうようになってきている。確かに、香港とは生産者と消費者が自らの考えや商品をなにものに干渉されることなく流通させ、悠々自適に生活を送ることができる自由主義的な大都市だという幻想が失われたことは多くのひとびとにとってトラウマだった。しかし、警察学校の若い卒業生は自らのトラウマを受け入れなければならなかったばかりではない。加えて、教育機会が限られていたために一定の仕事にしかつけなかったひとびとに見られがちな、雇用不安という危険がなく、定期的な昇進とボーナスが保証された安定していて平穏なキャリアを得る望みまでも失ったのだ。

 われわれは警察には全く同情しないが、やつらを駆り立てているのが一途で際限のない怒りだということは明らかだ。この怒りは彼らがぶちのめしているひとびとも分かち持っているものだ――もちろん、警察どもは合法的に認められた存在だというところと、暴行が奨励されているところが違うのだが。やつらの倒錯した振る舞いを考えるとゾッとする。たとえば、抗議行動の場へと配置される前に上官からどんなフルメタル・ジャケット式の叱咤を受けているのか、警察学校の生徒たちが参加するワッツアップ[メッセンジャーアプリ]のグループではどんな下劣な会話がなされているのか、どのようにして怒りを持続させ、抗議者の頭を叩き割ろうと躍起であり続けているのか、などなど。たとえばあなたたちが今逮捕されたとして警察署で実際に何をされるのかわれわれのコレクティブの誰も定かに知っているわけではないが、拷問や、性的虐待どころか、女性抗議者への輪姦の噂さえ広く報告されている。

 一方、八月五日以降に行われた戦術の激化は警察暴力の増大や暴力を増長させる民間企業――たとえばMTRを経営する企業だ。MTRは自社の地下鉄駅の隣に馬鹿でかい私営ショッピングモールやアパートを作り、またニュータウンモールという、機動隊が押し入ってその床を血塗れにすることを不当にも許可した市内最古の消費者の要塞を築いた――のやり口に対する[当然の]リアクションなのだという感覚をひとびとは抱くようになった。この闘いは抗議者と警察が血を流す争いとなった。

 先週、警察はプリンスエドワードのMTRの駅を包囲した。連中は地下鉄車輌に突入し、抗議者らしき人間を見たら無差別に殴りたおし、犠牲者を血まみれの床に放置し、そして治療を受けることを禁止した。やつらは何時間もの間、駅を封鎖された強制収容所へと変え、三人を失踪させた。この三人は殺されたと噂されている。衝突時の危険性は依然として高まっており、おそらく報復の連鎖は続くだろう。多くのひとびとはライブフィードに釘付けになっていて、眼前で起きた出来事――ジャーナリストが失明し、警察に質問した見物者が逮捕された――に日々衝撃を受けている。だから、LIHKGのいくつかのスレッドで闘争の参加者に対して、警察への復讐に全力を注ぐのではなく、もっと広く状況を見渡すよう呼びかけがはじまっているものの、警察に関心が集中することは止め難いだろう。このような[残虐な]行為は、警察自身によって明らかに奨励されている。警察は、モロトフカクテルを投げるために最前線で[抗議者に]偽装するほど、センセーショナルな遡及的アリバイを必要としている。ひとびとの動きを促進しているのは明らかに警察自身だ。

 この闘争が警察の暴力によって勢いを増すのを支持することを嫌悪する意見もあり。しかしわれわれはこうした意見を許しはしないし、厳しく批判しなくてはならない。たとえば、八月一一日、最前線の背後にいた看護師がゴム弾を食らって失明したが、これは決して偶発的な「巻き添え被害」ではなかった。警察はこのところずっとひとびとの頭を狙っていたのだ。翌日、空港に大人数が押しかけて、警察は目を返せと要求するミームが口伝えに拡散した。それはその日の事態を活気づけることになった。その夜、抗議者は市民を捕捉した。拘束された二人の市民は中国共産党の手先であると疑われていた。そこで空港警察隊との小競り合いが生じた。

 闘争が警察の違法行為によって活気づけられた激怒を糧とし続ける限り、警察を正すために上位審級――アメリカ、西洋世界、または国連――へと請願する動きがあろうと、その高揚が警察からの挑発に左右されることに変わりはないし、香港の社会闘争がいまだ克服していないある地点から絶対に先にすすむことはないだろう。つまり、市民の正しい憤りという地点だ。

 警察のあれやこれやの不正義に対する市民の怒り、その溜め池が空になったとき何が起こるのだろうか? 闘争の参加者たちは、国家の乱行に対する当然の対応として違法行為を正当化することで、常に道徳的に高度なポジションにたつ必要があるのだろうか? ひとびとはどのようにイニシアチブを取り、攻撃を仕掛けることができるのだろうか? これは必ずしも物理的な意味での攻撃を意味するわけではないが、はニーチェの語る意味で「活動的に-なる」ことで、敵に依存し魅了されるという「奴隷の道徳」を不要なものにするのだ。

 警察暴力のスキャンダルは、あらゆる住民をして黒服を身にまとって外へと出させ、ガスマスクを装着した抗議者とさせて、様々な地区の警察署の前に集まらせるほどにまで都市を極限化した。ウォン・タイ・シンとクワイ・チュンで起こった出来事がとても有名だ。数百人のひとびとがショーツとつっかけという格好で階下に降り警察に抗議したところ、一人の警察官が腹を立てて丸腰のおじさんおばさんにライフルをぶっ放した。警察の暴力は[結果として]さまざまな住民たちがその取り組みを組織化する際の核としても機能している。たとえば、大メディアが拡散するデマと闘う試みの一環として、公共の広場で住民たちとの上映会が開催され、ひとびとは実際には何が起こったのかを見ることができるようになった。同様に、シャティンのニュータウンモールの情報カウンターに隣接するスペースは抗議情報局に変わり、そこには抗議者が常駐して、興味を持った通行人といつでも気軽に対話することができている。一方であらゆる地区に現れたレノン・ウォールは(特に公営住宅団地のあたりのがそうだ)凄まじい対立と殺意に満ちた怒りの場であるのと同時に陽気な場所になった。深夜にやってくる放火犯やナイフを振り回す凶悪犯からポストイットの壁を守る必要が出てきたが、この点において近隣住民のイニシアティブはとても重要になっている。それは目下の行き詰まりから抜け出す道を示しているかもしれない。

 このことは何が運動を生き延びさせるのかという問いについての最終地点へとわれわれを導いてくれる。他の地域から香港へと足を運んだ友人が驚くのは運動の統一と全会一致の原則だ。彼らはあらゆるイデオロギー的派閥や背景を持った叛徒たちが自らのイデオロギー的正しさについて口論するのではなく具体的な行動を共にする様を目の当たりにすることになる。この全会一致の原則の遵守はほとんど宗教的なものと化して、この原則を脅かす諍いが持ち上がった際に執拗なまでにメッセージボードで反復されて呪文のようになっている。誰の眼においてもあきらかなこの連帯の意味、すなわち闘争の最中に生じた戦術面での不一致を悪用しようとする国家からの系統的な攻勢に抗して大衆を結びつけるこのコンセンサスは、底抜けに陽気な言葉でもって要約されている。「わたしは闘争から誰も排除しない。たとえ彼らが核爆弾を爆破することを決めたとしてもね」。 平和主義者と火炎瓶を投げる叛徒との間に走る溝は未だに深いが、それぞれは変更不可能な役割を担っているわけではない。最前線の隊列は大規模な逮捕を通じてどんどん縮小しているが、一方では数週間前まで見物人だったひとびとがその間隙を埋め合わせている。メッセージボードとテレグラムの各チャンネルは闘争の際双方に生じた様々な出来事について感想や意見を交換するコミュニケーションの回路を提供している。このことは多くの点で驚くべきことであり、凄まじい成果だ。それは間違いなく長期にわたって持続してきたし、そしておそらくこのお後も長い間持続するだろう。

 同時に、この全会一致の原則の実施によって運動の大きな問題が覆い隠され、またこの原則はひとびとがそれらについて考えることを禁じてしまう[側面がある]。これについては、このインタビューの後半であらためて言及する。大衆運動において、ひとびとの士気を維持する必要があること、闘争のノリに常に注意しなければならないこと、動揺し絶望がはびこるときはたがいに励まし合わねばならないこと、これらに疑いを挟む余地はない。しかし、この肯定的な雰囲気を通じて、ひとびとを孤立させることやデモに人が来なくなることへの恐れからくる差異、相違、いさかいへの嫌悪が覆い隠されると、積極性はパラノイアと区別できなくなり――そして諸個人の特異性は結果的にその力を削ぎ落とされ、他の物体と群れて立つ単なる物体に切り詰められてしまう。

 これによって醸成される空気が、批判を行うことを非常に困難にさせ、特にアメリカや植民地時代の旗を振るなどの非常にいかがわしい現象への批判を難しくさせる。闘争を通じ、自由寛容の原則は前例のない形で武器となった――われわれの兄弟そして姉妹よ、あなたにはあなたの意見があり、わたしにはわたしの意見があるのだ。わたしたちは皆それぞれが対立する意見をもつ権利を尊重しあおう、われわれを脅かすような敵対関係を作り上げない限りにおいて。しかしこれがうまくいったとしても、それが香港の社会闘争の未来に寄与するものであるという証拠にはならない。この類の文化は、誰も排除しないように装いながら一方で実際には皆を排除し、痛みを伴い、不安を掻き立て、あるいは動揺させうるような問い、つまりわれわれにその深さを精査させ、われわれを主体として構成する諸条件と向き合わせることを要請するような問いを考える余地を与えなくさせるのだ。そう問うためには、われわれは目下の出来事のトラウマを超えて、はるかに広い規模のトラウマに立ち向かう必要がある。つまり、われわれが常にその再生産に関与している「秩序」というトラウマに。

 結局のところ、ある種のひとびとを事実上不可視にするのはこの「秩序」だ。たとえば、ここ数ヶ月の間、誰も外国人家事労働者の苦境を考えるために立ち止まることはなかった。大抵、毎週日曜日にこういった女性たちが都市中央部やコーズウェイ湾、モンコック、ユンロンなどの主要な地区の広場に大挙して集まっていたが、彼女らは最近の衝突の際の戦闘を通じて一掃された。抗議者のために作成されたリアルタイム地図にアクセスできないため、これらのエリアにガス弾が放たれていても警告が届かないのがほとんどだったのだ。その結果、彼女らは唯一の休日にどこか別の場所に移動することを強いられた(3)。

 これは不幸なことだが、しかしこの闘争にとっては許容しうる帰結だ。抗議者たちがこの問題を認知し彼女らに自らの同情を伝える努力をしたとしてもだ。通常、都市の大多数の家庭が彼女らを雇用しているにもかかわらず、家事労働者を取り巻く状況は気づかれないまま変わり続けていく。誰も自国の政府、雇用機関、およびこの都市の労働部門間の協定に抗する独立した組合を介して勇敢で持続的な抗議を組織しようとしないのだ。また、地域の社会運動体が彼らへの積極的な支援と理解を示す例は少ない。なのに、逃亡犯条例に反対する運動の参加者は「自由な世界」の立派な市民から同情を集めることに専念し、空港の観光客に香港の窮状を説明するのに時間を割いている。

 これは闘争における目下の大きな盲点だ。調査されずに放置されていたが、この問題は最近、衝突が起こった広場でぶらぶらしていた出稼ぎ労働者に対するグロテスクで容赦ないキャンペーンによって頂点に達した。数週間にわたって、LIHKGのスレッドでは「違法な集会」に参加したかどで抗議者が逮捕され拷問されている間に、なぜ移民労働者が集まって路上でピクニックすることが認められていたのか問いただす意見が散見された。その皮肉な口調は彼らの思考にゾッとするような面が含まれていることをあからさまにした。「なんなんだこのダブルスタンダードは」と投稿者たちは書き込んだ。われわれは抗議者が身の危険を感じている傍でたわいもなくカラオケを歌って楽しんでいるおばさんたちに自分たちが住まう都市がどんな状態なのか知らしめる必要があるのではないか? 彼女たちは政府局に許可を問うまでもなく路上でパーティーを開けるのに、われわれは抗議する資格を却下されたのはなぜかのか?

 こういったナンセンスはすべて、数日前、どうしようもない馬鹿者が公道や橋に外国の家事労働者は全員許可なく広場にたむろすることはできないと書いてあるステッカーを貼りはじめた際に頂点に達した。これらのクソのようなステッカーは、悲劇的な無能性を表している。抗議者たちは実に多くの移民労働者たちとやりとりをしたにも関わらず、彼移民労働者たちの窮状について全くきちんと考えて来なかったのだ。そしてそれは闘争の以前や最中はもちろん、この闘争の後においても変わらない。確かに、このステッカーを作って貼った人間を運動の大多数の代表であるとみなすべきではない。しかし、同時に、大多数の人間は表立ってこれを非難してもいない[ことも見ておかなくてはならない]。

 社会の日常生活を特徴付けるこの「秩序」は、運動の中でその醜い頭をなんどももたげてきた有害な性差別文化をも再生産している。抗議者は女性警察官のInstagramプロフィールを発掘し、犯してみたい売春婦と呼びたてた。デモ参加者は、お前が夜中ガス弾を撃ち続けている間、妻は間男に腰を打ち付けられているぞと警官をなじった。血気盛んな男の抗議者は女が前線に立つのを妨げ、警察による逮捕とレイプから「われわれの女性を守る」というプラカードを掲げた。警察署での性的虐待とレイプの可能性のニュースが最初に広がり、LIHKG参加者の女たちが女性の行進を組織するというアイディアを提起したとき、男たちはパニックになり、女たちは男たちの保護なしに自分たちだけで更新しようとしているのではないかと心配した。そしてこのパニックによって、男たちが「わが姉妹たちとともに行進することが自分たちに許されていなくとも、彼女たちを守るため最後まで完全武装で背後を行進する」などと誓うばかげた光景がもたらされた。これらは闘いをめぐる男たちの思考を示している。

 われわれがこういった話題に言及するのは、「キャンセルカルチャー[芸能人や要人の過去の差別発言などを引き合いに出し、当該人物のキャリアを終わらせる(キャンセルする)動きのこと]」をひたすら拡散するためではない。そうしたとしても聖人ぶった解放だとか、道徳的な演説、および社会階層の永続化に結果するのが常であり、われわれが絡め取られている社会的関係を変化させるのに何も寄与することはないだろう。むしろ、われわれは自らの窮地を正確に知るべきなのであり、この窮地が冷酷な「共産主義者」の殺人機械によって壁際まで追い詰められ迫害と苦境に苦しんだひとびとについての単純な物語よりもずっと入り組んでいるということを理解したいのだ。

中国という獰猛な野獣を打ち倒すことが最重要の急務だからという理由でこれらの問題の検討が瑣末なものだとか士気を下げるものとして扱われる限り、この闘争が目指す「香港の解放」の進展が得られることはないだろう。

――六月にやりとりをした際、あなた方は過去の平和主義、民主主義、および議会主義的な運動の挫折から生じた一種の指導者なき民族主義ポピュリズムのような、新しい社会的動静について語ってくれた。新しいリーダー、新しい物語、支配の新しい内部構造はもう出現したのだろうか? 国民主権を超えてひとびとがそのために闘ったり想像したりすることが可能となるような新たな枠組みや地平は開かれたのだろうか?

 そんなことはない。われわれが先だって話したときから物事はドラマティックな形で変化してなどいないのだ。一般的な理解はこうだ。この運動への参加者は、差異を含みおそらく整合性の取れていないものが持つ多様性に反する形で、満場一致の、共通の、そして合意形成された意見を表明しなければならない。

 テレグラムのグループやメッセージボードで、香港の独立を呼びかける声を聞くことがある。この欲望は闘争に参加した多くのひとびとが暗黙のうちに持っているものだという感覚から逃れることはできないが、一方で、運動が目下の課題(五大要求)を見失うことへの恐れやこの欲望をはっきり口にすることで生じる危険について大多数が抱いている警戒心のために、そう考えるひとびとは轟々と非難を浴びることになる――この構図は、体制側の政治家たちが、目下の闘争は真に五大要求「について」のものではなく実際は諸外国や分離主義者によって勢い付けられた「色の革命[CIA主導の独立革命の総称]」なのだと断言するのに似ているし、また中国の広報もこういった筋書きを何度も繰り返しているのだが。加えて、仕事やその他の個人的な理由で国境を跨ぎ続けている多くのひとびとにとって、香港の独立は歓迎すべき出来事ではないという事実がある。特別行政区基本法のうちにその要旨が記述されている「一国二制度」をという規定を単に見てみたいと思っているひとびとが大勢いるのだ。

 この地の政治および文化状況について明るくない他国の友人たちのためにもわれわれが協調しておきたいのは――少なくともわれわれの見立てでは――政治文化としてのリベラリズムがまもなく死を迎えるという噂は、すくなくとも香港に関する限り、根も葉もないものだということだ。極言しよう。「常識」として直観的に理解されるリベラリズムの論理は世界中のどこよりもこの地では強固なのだ。このことは、われわれが前回のインタビューで詳述した文脈とこの都市が共産主義中国からの難民たちによって建てられたという事実と大いに関係がある。以下に続くエピソードによって明らかになるのは、この状況は単に香港に特有のものではなく、本土の同胞たちにもまた共有されているということだ。

 数年前に催された芸術と政治の主体についてのパネルディスカッションでのことだ。われわれのうちの一人が中国のあるパンクロックの中心地からやってきた悪友と議論に参加した。彼の出身地はジェントリフィケーションと「エコテーマパーク」の建設に抗する行動が進行中だ。夜遅くまで議論を続けた後、飲んで吸いまくったその友人は中国でアナーキーについて論じることの難しさを語りはじめた。毛沢東がその語録の中で説得的な形で明らかにしたように、共産党はアナーキックな力であり、気ままにアルケーを超越し生じさせる「構成された権力」であり、革命のために永続的な非常事態を引き起こす。だから中国での日々の生活は日常的な次元で「アナーキック」だ。つまり、西洋の同志たちが広場占拠や路上パーティーの開催などのために(アガンベンが『身体の使用』の中で用いていたような意味での)「使用」について論じているとき、中国ではこの語はその意味を失っているのであり、国を構成するさまざまな道路や大通りのそういった意味での「使用」が日々生じているとき、「公共空間」という語の一般的な使われ方と特別な使われ方を区別するための確立された手引きは存在しないのだ。

 中国警察は職務特権を完全に逸脱してことを行う免罪符を持っており、他所では理解不能なやり方で振る舞う。たとえば、前述の中国の地域の友人たちは最近まで共有スペースを運営しており、その地域の住民たちに向けて開かれたカルチャーイベントを催していた。このスペースはあらゆる来訪者に対して開かれており、玄関の入り口は常に鍵がかかっていなかった。流れ者や野宿者たちがよろよろと入ってきて、数日から数週間滞在するということがよくあった。そして、私服警察も「非番」のときにスペースにやってきた。やつらはアメリカのタバコや酒を振る舞ったり、車で街に連れて行ったりなどしてスペースの住人たちに取り入ろうとしており、そしてそこの参加者たちが地域のジェントリフィケーションに反対しているということに完全に気づいていた。「わたしたちは友達さ。きみはわたしたちの友情を台無しにしたりなんかはしないよね?」。同じ警察官はこんな調子で地域の住人に働きかけていた。彼らと家で茶を飲み交わす予定をとりつけ、惜しみなくプレゼントを贈る一方で、丘の上のスペースに行くのは絶対にやめた方がいい、そこにいるひとたちと関わると酷いことをされるとやんわり伝えていた。なんとおそろしい状況だろう。このように誰もが永続的な例外状態を生きざるを得ず、公式非公式を問わない手の込んだ監視網に捕らえられている状況下で、友人はわれわれに語った。多くのひとびとにとって、リベラリズム――法規範であり、私的所有を施行する規範でもあり、厳密な区分線によって国家権力から個人を守る――は最もラディカルなものに見えるのだと。

 友人たちがなぜ「反資本主義的」言説やレトリックが香港では奇異に映るのかと尋ねるならば、それはまさしく文脈や情勢のゆえなのだと答えなければならない。香港人にとって、資本主義は進取の精神、自発性、自立を表している。党の腐敗した縁故主義や企業カルテルに耽溺して喜ぶ香港の実業家や政治屋と並べてみるとそれはよりはっきりする。しかし、「資本主義」以上に、われわれは[ひとびとにとって]法が神聖なものとしてあることに気づいた。それは超越的地平であり続けており、社会闘争がいまだ踏み越えられていないものだ。たしかに、世界中のひとびとが香港の英雄譚の証人となり続けている。いわく、黒シャツたちが毎日闘争に参加し、地下鉄駅の外装と機器を砕いてがらくたにしたとか、警察署をぶち壊したとか、などなど。しかし、これらの裏には密やかな信念がいまだ息を潜めている。すべては法の支配やある人間が反故にししてしまった制度を維持するためになされている、という信念だ。

 この観点からすると、あらゆる不法行為とは、それによって「天命」の消尽を権威者たちに知らしめるための手段なのだと理解される。古代王朝から現在までを貫く「中国千年の集合的な無意識」について語るかのように、現代の出来事を語るために古風な語り口を用いるのは「神話的」に思えるかもしれないが、その語彙はなお有効なのだ。というのも、あらゆる事象はわれわれが神話の時代に生き続けていることを教えるからだ。国際的なマスメディアを皇帝――すなわちアメリカ合衆国――に話をきいてもらうための法廷として活用しながら「国際社会」の宮廷人に控訴し続ける様を他にどういい表せばよいだろうか。上級控訴裁判所ではわれわれを統治するならず者国家の犯罪行為に対して、白昼堂々と侵害を被っていた根源的な自然権の名の下に正義の鉄槌と処罰が下されるという信仰がいまだに生き残っている。わたしは信じている。たとえ清い心の中だけであろうと、あらゆる場所の正しい考えをもったひとびとのあいだには根源的で超越的な法による団結の感覚が存しており、そして正義はなされ、天から正義が降り注ぐだろう――。

 これは気が滅入るほどにカント的な問題だ。地元警察の失態は大文字の警察の理念をなにも毀損することはなく、この大文字の警察とやらは来たる救済の日に現れるとされるのだ。

 したがって、運動が提起した問いはこのようになる。大文字の警察を動かすためになにが必要なのか?判事にこの危機は最優先事項なのだと納得してもらうためにはどうすればよいのか? ここでわれわれは、流された血は全て告発によって贖われ、また、その血は報復を正当化するだろうという望みを抱きながら、身を粉にして証拠を集め保管し、挫折した国家についての検討を通じて寄せられた非難と苦情を蓄積し、あらゆる地域のインフルエンサーたちにわれわれの利益について代弁するよう頼み込むことになる。市民的不服従が建造物への攻撃や路上闘争、空港の占拠やゼネストへとエスカレートしたにもかかわらず、変わらず冷酷な国家を前ぶ、ひとびとは人民解放軍の香港への到来という極限的な破局を招くための方法を考えはじめた。多くが予想するとおり出来事は国際的な介入を促進する触媒になるだろう。そのときには確実に警察もわれわれをなかったことにはできなくなる、というわけだ。

 これがLIHKGやその他で広がりはじめた黙示録的なカタストロフの理論だ。すなわち国際社会が(中国)共産党に鉄槌を下すのを待ちながら「全面的崩壊」の信仰に帰依することであり、底しれぬ深淵に飲み込まれる都市を夢想する抗議者たちが抱く「何もかも燃えてしまえ」という幻想だ。この仮定的シナリオが描くのは、香港の情勢不安があたかもアラブの春の中国版のごとく中国本国に広がっていくことによって、国際社会の経済制裁強化の圧力によろめきつつ小国に分裂し、(福建省、ウガン、新疆など)多数の自治区に分かれて、民主香港とともにそれぞれ公的かつ法的に独立し、広州とともに国家を形成するという事態なのだ。

 こうした展開がよく検討されずに放置されている傍らで――例えばこれらの「自律的」区域で相も変わらず共産党の下っ端党員どもが威張り散らしているなど――この純理論的な視点はある意味で歓迎されている。何はともあれ、恵まれた時代にわれわれが思い描くような未来とは完全に異なる未来を受け入れるための努力を反映してはいるからだ。すなわち、インターネットが遮断され、食料や水、電気を確保するために協力して働かねばならず、世界が粉々に砕け続け、水平線のむこうに自然環境の崩壊がほの見えるような未来を。その他のひとびとにとっては、この想像上のカタストロフは国際的な主要都市のひとつとしてふさわしい立場を保持するための手段としてみなされている。それは、「光復香港時代革命」というこの闘争でもっとも広く用いられているスローガンに表されている。ここでいう「光復」とは、刻苦勉励する香港、人民は愚直で起業家精神にあふれ、その生は大文字の政治の策謀によって損なわれてはいないという類の、原罪を逃れた無垢なる幻想である。

 総体的崩壊についてあれこれ皮算用するのは勝手だ。しかしわれわれ全員がともに生を全的に享受し反映する物質的基盤をいかに創造するかということについて考えられないのはなぜか? そしてこの「ともに」というところの意味はなにか? その範疇にあるのは誰か? それも、習慣的にわれわれが見落としているひとびと――少数民族や、二世の子供たち、移民の家内労働者、中国からの新移民、そして居住の権利を待ち望む本土の者たち――もまた都市の未来に含まれているとしたら? これらの問いへの答えがわれわれを代表する政府が選出されるときまで後回しにされねばならぬどんな理由があるのか? この闘争のなかでも、今ここでこの議論をうながす前提となるような自律の例はほんとうにいくらでもあるというのに。

――情勢不安に突入しておよそ三ヶ月、公式に共有されていることや暗黙の了解も含めて、この運動のなかにある様々な潮流にとっての目標と戦略とはなんだろうか?

 先に述べたように、この時点で闘争の中に暗黙理に意図されているのは「国際社会」なるものの干渉を引き出すまで状況を極限化させるということだ。大衆動員を維持し、国際的なネットワークで拡散されるような心揺さぶるスペクタクルをつくりだすことで、闘争はひとびとの第一の関心でありつづける。たとえば歩道や、最近ではストライキ中の中学校の周りで抗議者たちが手を取り合う「人間の鎖」がそうだ。地下鉄や商業区域や空港のような場所での不服従を続けることで、経済、観光客の移動、国外からの投資といったものへの顕著な効果があると考えられている。抗議者たちが最近開発した、条文上ひとつも違法行為を行わずに空港へ向かう交通を遮断する方法などもそうだ。同時に、監視に抗する手段の実践も慣れ親しんだものになって。例えば大きなデモの前には、各地域に配置されているRFID[電磁波による情報の読み解き・書き換えシステム]が実装された「スマート・ランプ・ポスト」を切り倒すとか、監視カメラにスプレーを吹きかけたりあるいは解体してしまうというような。

 これらすべてが、ブログ「弁証法的な怠慢者たち」(Dialectical Delinquents)が何年にもわたって十全にその見取り図を示し続けてきた現実への直観的把握を指し示している(この現実の輪郭が姿をあらわすところを素描する彼らの骨の折れる取り組みには感謝している)。香港は中国化する世界の先頭で危ういバランスを保っている。新自由主義はそれが作る国際秩序からの離脱を主張する大衆反乱による重圧を受けながら、緩慢に死にゆこうとしている。そのとき、完全装備の監禁収容所と法的所制度もどきを完備した権威主義的監視国家の中国的変種だけがわれわれが知る世界を強制力によって統合することができるのだ。こう考えているのはわれわれだけではない。それほど昔ではないが、「弁証法的怠惰者たち」はファーウェイの重役のインタビューを特集したが、これはとても明快にこのことを理解させてくれるはずだ4)。

 前回のインタビューで語ったように、誰もが疆のことは頭の片隅に置き続けてきた。新疆の悲惨な事態は、都市全体への監視装置の急速な導入と組み合わさって、闘争にはっきりとした終末的色合いを付け加えた。何度も繰り返されたことだが、勝利か、さもなくば強制収容所送りになるのだ、と。その認識には大筋で同意するものの、これらの装置にあらがう全世界の無数の暴徒たちの接近戦(アガンベン『装置とは何か』)があることに気づかなくてはならない――巨大な悪魔である中国から「自由世界」がわれわれを救い出してくれるとか、中国は全てを賭して除かねばならぬ反キリストだというのは正しくない。それは未来から投げかけられた影であり、崩壊しつつある惑星から姿を現しつつある影なのだ。

 中国が西洋世界の観衆たちにとって歓迎すべき目くらましとなっていることは言うまでもない。中国当局の狼藉を弾劾する機会を提供することで、西洋の政府は、自国の民衆を殺したり投獄したりしながらも、自分たちは「人権」を擁護しているのだと誇示できるからだ。

――この運動に内在する緊張と矛盾について話そう。香港の外でたくさんの抗議者たちがイギリス国旗や星条旗を振りかざし、カエルのペペのミームをシェアし、その他西洋の国家主義のシンボルを用いていると聞いた。運動の内部で、ひとびとがどれほどそのことを認識してきただろうか? それに抵抗感はなかったのか?

 ほとんどの人が数週間前に行われた行動の画像を見たことがあるはずだ。黒装束で固めたひとびとがアメリカ大使館に集まり、星条旗を振り、アメリカ国歌を歌い、可及的速やかに香港人権法案を可決するようホワイトハウスに訴えかけたのだ。これは悲劇でもあれば喜劇でもある。ブラックブロックがアメリカの旗を掲げるのは世界広しといえども香港だけだろう(5)。

 多くの「旗振り人」は、連中のやり方に向けられた批判を無視しているが、そのことこそが、ホワイトハウスへの継続的な請願を支持するひとびとを特徴づけるものだ。最近アメリカからの同志がわれわれを訪ねてきたのだが、彼は旗振り人に近づいていって、自分たちの政府への侮蔑を表明した。「Fuck The USA!」というひとことから彼は話しをはじめ、アメリカ国家機械によって日々犯されている殺人について滔々と語った。このやりとりは学生新聞によって記録され、数時間のうちにFacebookで議論を引き起こすこととなった。そこにつけられたコメントの多くが、「示唆に富む」ものだった。それらのコメントは、アメリカからきた同志を「左翼(以前のインタビューで説明したとおり、時代遅れの左翼に対する罵倒語)のアメリカ的バリアント」として切り捨て、彼を無知なやつとして責めたてていたのだ。「君は、ほんとうにわれわれがアメリカ愛国者だと思ってるのか? われわれはただ現実的なだけなんだよ。われわれをほんとうに助けてくれるひとの援助を求めてそうしているだけさ」。星条旗をはためかせてアメリカ国家を歌い、アメリカ的な生活様式への憧れを公然と言いたてることによって、「ほんとうの」アメリカ愛国者の感情に計算づくで呼びかけているのだ、と彼らは言いはっているわけだ(そのような愛国者たちは何人か香港にやって来た。そのなかには、ファシストのオーガナイザーであるジョーイ・ギブソンもいた。彼は、疑うことをしらないプロテスターたちとセルフィーを撮ってはしゃいでいた。プロテスターは自分たちの主張に好意的に見える、熱心に旗を振るアメリカ人に拍手を送ってとても喜んでいた)。

 旗振り人は、旗がたなびくことを批判する者は素朴すぎると主張している。批判者たちは、彼らの送っているメッセージが二重のメッセージであることを知らない、というわけだ。九月一一日のこと。九月一一日に命をおとしたひとびとを悼むために、抗議行動を街全体で中止することを要求する者もいた。また、別の抜け目ない者はアメリカ人の共感を獲得することを目指していた。やつらが自分たちは現実の政治について適切な把握を行っているほどには賢いと思いなしているとき、ジョークを言っているのはやつらだ。そして最終的には、世界の「グレート・パワー」同士の見せかけだけの綱引きが持つ今もなおある魅力を破壊することができなければ、ジョークを言っているのはわれわれだということになってしまう。

 西欧からきた友人の多くは、こうした感情が広く闘争に分かちもたれているのかどうか、あるいはこうした西欧への固執は取るに足らない現象なのかどうかを尋ねてくる。こう答えることにしよう。現時点では、中国との関係を少しでももっている物はなんであれ、破壊と冒涜の格好の的だ、と。政府の紋章は破壊され、国旗はポールから降ろされて、川に捨てられる。「中国」と名のつく銀行や保険会社の店内は落書きだらけになる。たとえば、中国生命保険のシャッターは、最近「ナチ中国の人生なんてごめんだ」と落書きされていた。ただ、もしアメリカ的な「イコン」が目につく店を(たとえばわれわれが)同じように攻撃したとすれば、われわれは諌められるかもしれない。

 付け加えなければならないのは、抗議に際しては、星条旗だけでなく他のG20の「フレンドリーな」国々――の国旗も、目につくということだ。先週は残念なことに、ウクライナ国旗もあらわれていた。おそらくその旗があらわれたのは広場で『ウィンター・オン・ファイア:ウクライナ、自由への闘い』の上映会が行われているからであり、かつそのドキュメンタリーが都合よく無視しているものを誰も知らないからだろう。

 他方で、イギリスに対して、BNOパスポート[BNOはBritish National Overseasの頭文字で、英国海外市民の意。一九九七年まで香港市民は希望すればこれを受け取ることができた]を香港市民に対して再度交付し、置きざりにした捨て子の責任を引きうけるよう主張するキャンペーンも続いている。このパスポートは、それをもっているからといってイギリス居住権が与えられるわけでもないし、領事による保護が保証されるわけでもないが、あるひとびとにとっては、死の罠とみなされはじめているこの都市から逃亡する望みを具現化するかのように思えるのだろう。数週間前には「ちょっとした強制収容所に投げ込まれるよりは、西欧国家の二流、三流市民のほうがましだね」と掲示板のスレッドに書きこまれていた。

 こうしてみれば、西欧の国旗をはためかせることは、戦略的で巧妙な如才ない行動というよりむしろ、全能の救済者への絶望的で敬虔な祈りのように思える。これは、不安と無邪気――互いを養いつつ、悪化させあう二つのもの――の死に至る混合物なのだ。われわれが全力で戦っているものは、これにほかならない。われわれはつい最近アメリカ人の友人から拡散したくなるような素晴らしいスローガンを受け取った――ナチ中国Chinaziと白人至上主義アメリカAmerikkka:二つの国、一つのシステム。

――騒乱を通じてひとびとの目にとってその正当性を失ったのはいかなる制度ないし神話だったのか? いかなる制度や神話が、いまだ正当性を保持し続けているのか、あるいは獲得したのだろうか? こうした制度や神話を批判するための、あるいは少なくともそれらについての対話をはじめるための試み、その成功ないし挫折について語ることはできるだろうか?

 前のインタビューで話したように、社会闘争においてふたつの道があるということが長く信じられていた。一方に、平和主義的で、市民的で、そして優雅な、主婦や老人、逮捕の危険をおかすことのできないひとでも気軽に参加できるような抗議があり、他方に好戦的で、衝突しながら前線に参加すること、つまりさまざまな種類の直接行動に従事することがある。これらふたつの道はいまも残っているが、目下の状況がもつ新しさは、その両方がともに違法になったということだ。つまり、政府は抗議への参加をみとめておらず、いかなる集会も、それがいかに無害なものであろうと事実上禁止されているのだ。ただ違法な集会の場面に居合わせたり、その近くにいるだけで、すでに逮捕と拘留の要件が構成されることになる。あなたが地下鉄やバスで家路についていたとして、機動隊が群れとなって車内に闖入し、乗客みなの命を奪いとるかどうかや、自警団があなたを警察に密告したり家まで尾行しているかどうかや、はたまた中国マフィアが深夜あなたの住んでいるところで暴れ出すかどうかなど、知ることなどできないだろう。何かしらの形で闘争に関わることによって、その行動が「秩序」の名のもとに正当化される者によって重傷を負わされ、苦しめられ、殺されるかもしれない身体へとあなたは変えられてしまうのだ。秩序の守護者が明らかにするように、われわれは「ゴキブリ」であり、万事がふだん通り進むために駆逐されるべきペストなのだ。

 さらに、もしあなたが中国市場との長年にわたる関係を有している企業に勤めているなら、闘争への共感を告白することで職を失いかねない。注目を浴びたキャセイ・パシフィックのケースを、つまり運動に参加し、警察のフライト情報をリークするのを助けた労働組合のメンバーの一覧表を要求した経営者のことを考えてみれば十分だ。この企業は、従業員のなかにいる[闘争の]支持者の徹底的な排除を行なっている。これは従業員のなかの出世欲にまみれた密告者が主導している。

 つい何ヶ月か前まで数学を教わっていた学校教師が、あなたの逮捕に寄与するかもしれない。校長や学科長は、機動隊があなたやあなたの友人を学校の敷地外で襲ったとして、ただ突っ立っているだけだ。これが抗議者が急速に慣れさせられている現実だ。結果的に大人の援助ネットワークがこうした状況に取り組むために急速に形成されている。具体的には、職やシェルター、移動や食料を必要なひとに提供しているのだ。

 端的にいえば、予測可能な進歩の領域としての未来、達成可能だろうとか妨害を被るだろうといったような計画や予測が書き込まれた日程表は意味をなさなくなり、われわれは徐々に自発的な地図作成を通じて現実の時間のうちに描きこまれた生きた地図を参照するようになったのだ。どの駅を避けるべきか、どの道を迂回するべきか、どの地域が最近攻撃されているか。日々の生活それ自体が、戦術的な工作の連続となった。具体的にはこうだ。立ち聞きされたり、密告されないように喫茶店や学食で昼飯をとりながら話す際にはみなが注意し続けねばならなくなった。また、すぐには解読されないコードをメッセージアプリやSNSで使用するために開発することになった。とりわけ特異なのは、メトロポリスでの臆病風に吹かれた快適さや便利さ、つまり仕事に取り組む際の匿名性の享受を多くのひとが差し控えようとしていることだ。別の仕方で秘密を発見し、保持することが必要なのである。

 この間を通じて、ある意味での発明や冒険がわれわれの生活の細部にまで浸透しているということは誰にも否定できないだろう。。

――騒乱を中国本土に広げるには何が必要なのだろう?――この運動においてではなく、あるいは将来のその帰結においてであるとしても。あるいは運動そのものの前提がそれを不可能にしているのだろうか?

 個人的には、香港が食料や水の大部分を中国に依存しているという純然たる事実にたちむかうことがわれわれには必要だと考える。このことからだけでも、いかなる成功した反乱も、必然的に香港を囲む他地域の「仲間」からの積極的なサポートが必要なことが明らかになる。この実践的な急務は、抽象的な議論よりもすぐに聞き入れられるだろう。ご存知の通り香港人は、イデオロギーについての議論にはほとんど耐えられない。

 こうした観点は議論を呼ぶものだというは記しておかなければならない。どうしようもない政治的協定の結果として、北東にある香港の農業地帯の大部分を徐々に縮小するとか――それは外国(あるいは中国本土)の投機対象となりやすい民間の住宅複合体に道を開く――、広東省からわれわれがとんでもない量の水を輸入するといった事態がある。われわれのコレクティブの何人かは、こうした従属こそが香港の多くのひとびとを強く怒らせるのだと提起している。つまり、この従属は独立や主権への熱意を弱めるのではなくむしろ強めているのだ。

 必要な次のステップは、香港は例外であるという幻想、こびへつらい無知で洗脳されきった北方の田舎者たちとは対照的な、自由を愛するコスモポリタンたちの住まう自由な世界に通用する無関税港であるというひとびとの夢想を手放すことでなくてはならない。それは陳腐に聞こえるかもしれないが、プロレタリアによる反乱が有する完全な否定性に道を開くためには、「香港的アイデンティティ」からあらゆる積極的な内容――文明、都会性、啓蒙という虚勢のすべて――を取り去らねばならないのだ。それによって、国境をはさんだ両側の政府によって生み出された分裂的な騒乱状態を決定的に断ちきることができる。この闘争の間、中国で「大事件」による混乱やそれについての報告が発表されるときはいつも、ひとびとはそれに細心の注意を払っていることも言っておかなければならない。

 多くのひとが、「密輸的な」情報を本土へもちこむための通路を工夫して創りだしてきた。中国のアダルトサイトにあるポルノ動画を編集して、香港警察の野蛮な映像を射精の場面に差しかえようとさえしたのだ。これらがわれわれに想起させてくれるのは、われわれが大好きな古代中国における反乱だ。その反乱のなかでは、餅や菓子に隠された羊皮紙によって、密輸された情報が伝わっていったのであった。

 上でも述べたように、中国のあらゆるところにべらべらと「独立」やら「自律」を主張する――共産党の崩壊のあとで国を分断しようとする――やつらが一方にいる(自律のほうが重要だ。独立は、その当然の帰結でしかないと思われる)。しかし、他方――国境をまたいだひとびとたちがしばしば全能の羊飼いに監視された迷える羊と思いこまされているありさまを考慮すれば――香港の主権が国際的な軍事力の脅威によってバックアップされ、その国境が監視されることを通じて、中国の運命からわれわれの運命が切り離されることもありうる。

 国教を超える危険な任務としてこのイデオロギー的な配列を解体し、香港の文化的なアイデンティティの基礎を掘削することは、とても不愉快で不人気な作業だ。ほんとうのことを言えば、われわれにはどうやって大規模にそれを行うことができるのか、ほとんどわからない。というのも、とりわけ中国本土の情報経路はすべて完全な支配に従属しているからだ。本土の友人は、この闘争にかかわる情報を掲示板やSNSで普及させるために骨を折ったが、この情報はしばしばすぐに削除され、彼らのアカウントは即座に停止されてしまった。

 この仕事がどれほど気が滅入るものか想像してもらえるだろうか。その仕事が急務であるだけ、困難は増大する。新たに書き下ろされた「香港国歌」を公共空間で歌うために群衆がコーラス隊を結成しはじめているいまはとりわけそうだ。

――ここ数ヶ月で生じた戦術的・技術的発明や、それによって可能となったことについて教えてもらいたい。今後、あなたたちと似た状況に直面するひとびとを思いながら話してくれないか。

 ここから数年、われわれはこの三ヶ月間に叛徒たちが直面した具体的な問題とそれへの対応の中で生じてきた驚くべき事象をふりかえり注意を寄せ続けることになるだろう。

 デモに参加し、緊急事態が宣言されても街頭にとどまったことで両親から「勘当された」ために帰る家のなくなった十代の若者たちに対応すべく、若い参加者たちが一時的に滞在できる空き室のネットワークがつくりだされた。ミニバスやバス、地下鉄が、逃亡する抗議者たちにとってもはや安全ではないということへの対応として、「子どもを学校で拾う」ために車をプールするネットワークがテレグラムを経由して形成された。また、テレグラムの操作方法すら知らないけれども、危険から遠ざかろうとしている抗議者が走っているのを見つめながら、ラジオで報じられる「ホットスポット」の周りをずっと運転している年配の運転手にもわれわれは出会った。

 仕事や食料を買ったりするのに十分な金をもたない前線の若者を支えるために、働いているひとたちがスーパーやレストランのクーポンの供給を準備し、大規模な衝突の前にギアに身を包んだひとびとにそれらを手渡していた。この特筆すべき事実についてだが、この「色の革命」の背後に外国勢力が控えているということを示唆するために右翼がしばしば引き合いに出している。「だって、このクーポンのためのお金はどっからきているっていうんだ? 資金援助する何者かがいるに違いない!」。彼らは労働者たちが見ず知らずのひとを助けるために身銭を切ることなど理解できないのだ。

 直接経験したものであれ生々しい映像配信を通じてであれ、催涙弾や警察暴力に長期間さらされたことに起因する苦痛、トラウマ、不眠に対応するために、サポートネットワークはカウンセリングとケアを提供している。夜を徹して街頭に出ているために宿題をこなす時間が十分にとれない子どもたちのために、無料のチューターサービスを提供するテレグラムのチャンネルがあらわれている。ストライキを打っているために「教育を受けることのできない」学生に対応するために、ひとびとはその主張に共感してくれた学校や、公共空間において、あらゆる種類の政治的主題に関するセミナーを組織している。

 その間、ひとびとは抗議者たちが関心をもっている主題を議論するテレグラムのチャットルームをはじめた。われわれもひとつチャットルールを作成した。主題は技術的なもの(いかに地下鉄のきっぷ販売機をぶっ壊すか、金を払わずに改札を突破するか)かもしれないし、歴史的なもの(最近フランス革命に関するものを目にした)かもしれない。またはスピリチュアルなものや、自己防衛や護身術についてかもしれない。

 こうした努力のすべては、その寛大さと手際の良さにおいて驚くべきものとなっている。いくつかのアフィニティグループが形成され、火炎瓶をつくって森で試し投げをしている。警察と撃ちあうことを想定しながら森でサバイバルゲームを行い友情や信頼を築いているグループもある。即席の格闘技道場が公園やルーフトップで開催されている。この街のひとびとは最小限の労苦で実践的な問題を解決することに長けているだ。

 この闘争は、それに参加したひとみなに対する教育的な役割を果たしている。それは、現象学的教育とでも言えるだろうが、われわれの住まう都市が闘争の過程を通じてまったく新しい意味を獲得したのだ。あらゆる都市のあらゆる側面が深い戦術的な意味を帯びている。マフィアがよく訪れるのはどの地区なのか知らねばならない。あらゆる曲がり角や袋小路は、どこでデモから離脱するかを考える際に重要となりえる。ここ数ヶ月でわれわれは、自分たちに馴染みのない地域はもちろん、ずっとそこで育ってきたような地域ですら自分たちにとって見知らぬものになっていることに気づいたのだ。それは機動隊の突進から抜けだそうとしている時だとか、自分たちには知りえなかった都市の様々な側面に――仕事や生い立ちのおかげで――精通しているひとびとから共有された話があふれるメッセージボードのスレッドを熟読しているときなどに感じられた。こうしたものを危険地帯や逃亡手段を指示するためにいくつかのチームによって描かれたリアルタイムの地図と考えあわせれば、いかにこの三ヶ月がわれわれの都市を巡る加速度を増した精神地理学的-地図制作的な旅だったのかを理解しはじめることができるだろう。この三ヶ月がもつ価値はこの闘争と来るべき闘争の双方にとって計り知れないほど重要なものなのだ。

 もちろん、結局のところ、街頭で起きていることがすべてではない。われわれのコレクティブにも、ストリー トファイトが起きている場に居合わせたくないというメンバーはたくさんいる。現場を離れて地図を書いたり、多くのチャンネルからひっきりなしに流れてくるデータの正確さを真摯に検証しながらリアルタイムの情報を提供したりといったひとびとの多大なる貢献は、参加者の身の安全を確保したり誤ったニュースを排除するのに役立った(メッセージボードのいくつかのアカウントは、いつも誤った情報を定期的に拡散しているのだが、その目的はわからない)。また、ひとびとが街頭の衝突で疲れきった後、それでも集い、よりよい戦術についてオープンかつ友情をもってテレグラム上で議論しあう時間をとったのも非常に有意義なことだった。これこそが計画されたイニシアチブ――地下鉄や空港への高速道路や、空港そのものを閉鎖すること――を達成することを可能にしたものなのだ。地下鉄がそうだったように、初期の試みは不安定で成功しなかったのだが、しかし最終的に大事を可能にしたのだ。目標を達成する意志は情報のインフラを創造しようとする集合的な決意と連結されねばならないのだ。

――香港の外にいるひとびとは、今回の運動で逮捕されたり拘禁されたりしたひと――とりわけ権威に反抗してそうなったひと――を支援するためになにができるだろうか。また、あなたたちを支援したいという世界中のひとびとに対してのぞむ他のことはあるのだろうか?

 近いうちにわれわれは海外の友人と協力するグローバルな連帯行動についての情報を明らかにするつもりだ。乞うご期待!

 同時に、あなた方がこの歴史的な瞬間に、中国に関してわれわれが直面している情勢や世界中の監視システムの絶え間ない発展について、自らの手で記事を書いてくれることは大きな支援となるだろう。われわれはこの闘争の物語が共産党に対するひとりよがりな非難を中心としたものになるのを許すことはできない。党がわれわれにとって侮蔑の対象でしかないとしても、この世界の悪は中国を中心としているなどと夢想してはならない。「自由な世界」に生きる責任感をもった市民と『一九八四』的な監視員というあほくさい区別をともなう冷戦の引き写しのような茶番を許すわけには行かない。これによってわれわれは今まさに要求されているものから目を逸らされることになるのであり、未来の生からわれわれを引き剥がし続けている一切合切を打ち壊すための計画はその実行を妨げられることになる。

 プロレタリア的なからかいの精神を拡散しよう。われわれの知るあらゆる言語でみんなを爆笑させてくれ!